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邪馬台国は福岡県朝倉市にあった!!
「畿内説」における「失敗の本質」

邪馬台国は福岡県朝倉市にあった

失敗から、何も学んでいない

この本では、邪馬台国の中心地、卑弥呼の都は、福岡県の朝倉市地域にあったことを、詳述する。それとともに、いわゆる「畿内説」が、データの「改ざん」など、文部科学省のガイドラインが示す「研究不正」の域に達していることをのべる。
奈良県や桜井市の公的機関の発表や報道は、「奈良県ファースト主義」で、フットライトのあてすぎ、粉飾報道、手前味噌、大本営発表の傾向が強すぎる。奈良県が、福岡県よりも、邪馬台国の地としての考古学的根拠が多いなどとする発表は、まったくの誤りである。
慎重な検討がなく、マスコミ発表すれば勝ちという方法は、旧石器捏造事件で、失敗した方法のはずである。失敗から、何も学んでいない。


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本書「はじめに」より
 日本の考古学は、いま、重い重い病いにかかっている。
  データの示す「事実」が、見えなくなる病いである。
  前著『誤りと偽りの考古学・纒向』で述べたことのうち、この本での議論の展開に必要なことがらの要点を、いくつかの補足をしながら、まずまとめておこう。
  何人かの人たちが、ほとんど同じような表現を用いて、事態を憂えている。
  東海大学の考古学者、北条芳隆(よしたか)氏はのべる。
  「証明を抜きにして、仮説だけがどんどん上積みされており、マスコミもそれをそのまま報じている。」(『朝日新聞』2001年11月1日、夕刊)
  朝日新聞社の記者、宮代栄一(みやしろえいいち)氏は、記している。
  「(邪馬台国畿内説をめぐって、)恣意的な解釈や強引な主張、仮説に仮説を継ぐ議論がいかに平然と行なわれていることか。」(「脆弱さを露呈した考古学-捏造発覚から1年に思う」 [『前期旧石器問題とその背景』段木一行(だんぎかずゆき)監修、株式会社ミュゼ、2002年刊、所収])
  関西大学の教授であった考古学者、網干善教(あぼしよしのり)は、邪馬台国=畿内説の考古学者、小林行雄の論法を評してのべている。
  「ある一つの仮説的な前提を想定し、さらにその前提の上に仮説を積み重ねて、一つの結論を導き出している。そして、その結論が事実のように理解される。若(も)しその前提が、例えば最初の「そうである」という前提が「そうでない」となればこの屋上屋を重ねた広遠な論理の結論は何も意味しないことになる場合もある。」(「三角縁神獣鏡の形式系譜諸説」『東京国立博物館紀要』第6号、1971年)
  邪馬台国畿内説を主張する議論が、しばしばこのような、仮説の上に仮説を積み重ねる形式の議論になっているのは、なぜか。それは、出発点となる仮説(前提)の「畿内説」が、そもそも、誤りであることから生じているとみられる。
  たとえば、「上杉謙信は、女性である」という説がある。いま、かりに、「織田信長は女性であることを、どうしても証明しなさい。」といわれたする。その場合は、どうするか。
  「信長には甲(かん)高い声をしていたという記録がある」とか、「青年のころは、女子と見まがう美男子であったとする記録がある」こととか、ある一部の特徴だけをとりあげ、それを拡大解釈し、仮説の上に仮説を重ねる面倒な論法を用いるほか方法がないであろう。議論が、仮説に仮説を重ねる構造になるのは、多くのばあい、出発点となる前提が、誤っているからである。

--------------------------------------続く-----------------------------------------

目次
はじめに--(9)ページ

第1章 邪馬台国は、どこか--1ページ
●女王の都は、福岡県朝倉市にあった●
1.考古学的データの限界--3
帯方郡から女王国までの距離は、一万二千余里である/方向記事/謝銘仁博士の読み方/考古栄えて記紀滅ぶ/「正解」がいくらでも存在する方法/卑弥呼はだれなのか?/諸天皇の代数と没年または退位年との関係/平山朝治(あさじ)氏の、最小二乗法による年代推定/天照大御神の実在性について/パスカルの方法/現代の公理主義/公理的方法についての私の立場/私の邪馬台国論の論理構造/「高天の原」は、どこか/今も流れる北九州の安川/九州と大和の地名の一致/より細部での地名の一致/大和川水系と筑後川水系/平塚川添遺跡の出現-古野ケ里よりも大きな環濠集落-/新聞報道/邪馬台国時代の墓制、箱式石棺の分布/「邪馬台国問題」と「卑弥呼問題」とは、ともに解決されなければならない

第2章 頭の体操・京大教授、岡村秀典著『鏡が語る古代史』を読む--85ページ
●この本は、誤読・誤訳・勝手読みのオンパレードである●
1.「盖(がい)は、「蓋(きぬがさ)(衣笠)」であって、「金属」ではない--87ページ
「青祥(せいしょう)」は、「吉祥なる金属」なのか?/岡村秀典氏の解釈
2.原文の改竄(かいざん)--113ページ
『全唐文』の「銅鏡鉗文」について/「鉗」と「紺」とは、音が違う/「銅鏡鉗文」の意味は?/「出土」と「採集」
3.「景初四年鏡」と「位至三公鏡」--128ページ
「景初四年鏡」も、洛陽で作られた?/「位至三公鏡」/中国出土の「位至三公鏡」の年代/わが国出土の「位至三公鏡」/「位至三公鏡」の年代/鉛同位体比の測定値/「西晋鏡」の鉛同位体比/「奇妙な論理」/平原遺跡出土鏡の年代
4.「銅は徐州に出(い)で、師は洛陽に出(い)ず」という銘文--175ページ
「銅を産出する徐州」は、魏の領域に属していたのか/「銅を産出する徐州」は、「魏の地名」ではない!/鏡の型式の移り変り/「銅は徐州に出で、師は洛陽に出ず」銘鏡は、わが国を中心に分布している/考えられる別のストーリー/わが国出土の「位至三公鏡」は、西晋時代鋳造の鏡とみられる/「第2章」のおわりに

第3章 「魔鏡」は、ほんとに、卑弥呼と結びつくのか--207ページ
●魔鏡現象は、「三角緑神獣鏡」だけに起きる現象ではない●
『読売新聞』の魔鏡についての記事/「卑弥呼の鏡」といういい方/『抱朴子(ほうぼくし)』にみえる記述/北方系の鏡にもみられる魔鏡現象/「内行花文昭明鏡」の出土地の分布/魔鏡現象は、なぜ起きるか

おわりに--239ページ
●「畿内説」における「失敗の本質」●
針小棒大(しんしょうぼうだい)・薬九層倍(くすりくそうばい)・纒向千倍(まきむくせんばい)/山本七平の「空気の研究」/なぜ、失敗はくりかえされるのか/鈴木博毅(ひろき)著『「超」入門失敗の本質』

掲載図版一覧
★地図
地図1 末盧国から邪馬台国まで二千里ほど--5ページ
地図2 稲佐の所在地--49ページ
地図3 九州北半部の平野分布--52・53ページ
地図4 北部九州の地名と大和の地名とのふしぎな一致 58・59ページ
地図5 朝倉市付近の地名--62ページ
地図6 畝火山付近の地名--63ページ
地図7 大和川水系と畿内の古墳群--66ページ
地図8 筑後川水系と朝倉市・夜須の位置--67ページ
地図9 平塚川添遺跡のある場所--74ページ
地図10 弥生時代後期の箱式石棺の分布(弥生時代前期・中期の箱式石棺をのぞく。)--78ページ
地図11 後漢時代の徐州・揚州--174ページ
地図12 南京付近の現代の地図--178ページ
地図13 東晋時代(三一七年~四二〇年)の徐州--188ページ
地図14 三国時代の地図と銅の鉱山--198ページ
地図15 東晋時代の地図と銅の鉱山--199ページ
地図16 『位至三公鏡』の分布--228ページ
地図17 「内行花文昭明鏡」の出土地の分布--231ページ

★図
図1 県別 弥生時代の鉄鏃の数--(12)ページ
図2 寺沢薫氏の資料による県別・庄内期の鏡の出土数--(13)ページ
図3 茜草(あかね)--(29)ページ
図4 葒花(こうそう)(紅草)--(30)ページ
図5 紅花(べにばな)(紅華)--(31)ページ
図6 伊都国と邪馬台国との位置関係--6ページ
図7 日本の天皇の平均在位年数--19ページ
図8 中国の王の平均在位年数--20ページ
図9 西洋の王の平均在位年数--21ページ
図10 世界の王の平均在位年数--21ページ
図11 天皇の代と没年または退位年--24ページ
図12 五人の人物が活躍していた時期--26ページ
図13 「卑弥呼」と「天照大御神」とが、対応するとすれば……--33ページ
図14 『古事記』神話の地名の統計(現実的色彩をもつ地名)--48ページ
図15 平塚川添遺跡環濠集落の想像図--74ページ
図16 九州本島で、弥生時代後期において、箱式石棺の出土数の多い「市と町」ベスト10(弥生前期・中期の箱式石棺墓をのぞく。)--79ページ
図17 県別 弥生時代後期箱式石棺の出土数(弥生前期・中期の箱式石棺墓をのぞく。)--80ページ
図18 九州本島で、古墳時代前期において、箱式石棺の出土数の多い「市と町」ベスト10--81ページ
図19 青蓋--97ページ
図20 高松塚古墳壁画の男子群像と蓋(きぬがさ)--109ページ
図21 高松塚古墳壁画の蓋(きぬがさ)の色--109ページ
図22 黄蓋--110ページ
図23 九龍黄蓋--110ページ
図24 タイプ別の鉛同位体比の分布範囲--152ページ
図25 「西晋鏡」の県別出土数--155ページ
図26 「西晋鏡」の鉛同位体比の分布--165ページ
図27 雲雷紋「長宜子孫」銘内行花文鏡--185ページ
図28 蝙蝠鈕座「長宜子孫」銘内行花文鏡--185ページ
図29 中国西晋時代の「位至三公鏡」とわが国出土の「位至三公鏡」--194・195ページ
図30 「前漢鏡」と「西晋鏡」との鉛同位体比の分布の違い--196ページ
図31 「雲雷文『長宜子孫』銘内行花文鏡」と「蝙蝠鈕座『長宜子孫』銘内行花文鏡」との鉛同位体比の分布の違い--197ページ
図32 「三角縁神獣鏡」の鉛同位体比の分布--201ページ
図33 石野亨の示す図--237ページ

★表
表1 福岡県と奈良県との鉄鏃と鏡の出土数--(14)ページ
表2 全都道府県中、出土量トップを示した県とその項目--(20)・(21)ページ
表3 福岡県朝倉市、岡山県倉敷市と、奈良県桜井市の「鉄の武器」の出土状況比較--(24)ページ
表4 「日本の天皇」と「中国の王」の時代別平均在位年数の差--22ページ
表5 九州と近畿の似た地名--56ページ
表6 洛陽付近出土の「位至三公鏡」--134~137ページ
表7 中国(洛陽付近以外)出土の「位至三公鏡」の年代--138ページ
表8 わが国出土の「位至三公鏡」(「双頭竜鳳文鏡」をふくむ)--140~145ページ
表9 表8の文献リスト(発行年順)--144~145ページ
表10「位至三公鏡」「双頭竜鳳文鏡」の鉛同位体比データ--160・161ページ
表11 「蝙蝠鈕座長宜子孫銘内行花文鏡」の鉛同位体比データ--162・163ページ
表12 「夔鳳鏡(きほうきょう)」の鉛同位体比データ--164ページ
表13 「鏡の世界」と「銅鐸の世界」とは、「鏡の世界」に統一された--166・167ページ
表14 中国王朝の存統期間の長さ--182・183ページ
表15 洛陽焼溝漢墓の時期別出土鏡--225ページ
表16 洛陽焼溝漢墓・西郊漢墓における漢鏡の変遷--226ページ
表17 洛陽晋墓出土の鏡の種類--227ページ

★写真
写真1 白鳥庫吉(一八六五~一九四二)--28ページ
写真2 和辻哲郎(一八八九~一九六〇)--29ページ
写真3 藤原鶴来編『書源』にみられる「蓋」の字--95ページ
写真4 「陽嘉残碑」にみえる「冠盖」の文字--99ページ
写真5 「漢語大詞典」による「青祥」「青眚」「黄祥」などの説明--108ページ
写真6 『欽定全唐文 一四』(歴文書局)の「銅鏡鉗文」--116ページ
写真7 『全唐文新編』42の「銅鏡鉗文」--117ページ
写真8 犀毘(さいび)[帯鉤(たいこう)]--121ページ
写真9 洛陽市吉利区で「採集」の鏡--126ページ
写真10 王仲殊(一九二五~二〇一五)--131ページ
写真11 王仲殊から安本へのお手紙--131ページ
写真12 「位至三公鏡」の一例--133ページ
写真13 双頭竜鳳文鏡鏡(1)--156ページ
写真14 双頭竜鳳文鏡鏡(2)--156ページ
写真15 「位至三公」銘双頭竜(鳳)文鏡--156ページ
写真16 位至三公鏡--157ページ
写真17 南北朝時代の北朝の双頭竜鳳文鏡系の鏡--157ページ
写真18 奥野正男著『邪馬台国の鏡』--180ページ
写真19 中国上海博物館蔵の昭明鏡(魔鏡)--223ページ
写真20 佐賀県椛島山古墳(かばしまやまこふん)出土の「昭明鏡」--229ページ
写真21 元伊勢籠(もといせこの)神社宮司家に伝えられた「辺津(へつ)鏡(内行花文昭明鏡)」と「息津(おきつ)鏡(長宜子孫銘内行花文鏡)」--230ページ

★コラム
コラムⅠ 「犀毘(さいび)」[帯鉤(たいこう)]と「綺袷(きごう)」--120・121ページ
コラムⅡ 双頭竜鳳文鏡鏡と位至三公鏡--156~158ページ
コラムⅢ 「雲雷文長宜子孫銘内行花文鏡」と「蝙蝠鈕座内行花文鏡」--184・185ページ
コラムⅣ 『広辞苑』による「せん」の説明--238ページ
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